脱ぐ男と晒す女 『極東のマンション』

2週連続で東京現代美術館へ。

目的は企画展「東京アートミーティング」の関連イベント、松江哲明スクリーニング&トーク。

真利子哲也監督の『極東のマンション』、松江哲明監督の『カレーライスの女』が上映された。いずれも2000年代前半に撮られた30分程度のセルフドキュメンタリーだ。

カレーライスの女』は何度か観たことがあり、鑑賞中からカレーが食べたくなる作品。松江監督の知り合いである3人の女性に、彼女らが住む部屋で手作りのカレーをご馳走になり一泊するという内容。3人の女性はそれぞれ松江の知り合いのピンク映画の女優、友人、(当時)の恋人で、それぞれの関係性がつくる松江監督との距離感が如実に表れる。若い男と女が一泊すれば、それは性的な諸々を意識せざるを得ず、それが絶妙に隠蔽されつつも露呈してしまう(もちろん意識的にだろうけれど)あたりの生々しさが面白い。

『極東のマンション』は初見。当時立教大学の学生だった真利子監督の「物語」を持たない自分がいかにセルフドキュメンタリーを創り得るかという格闘の一部始終。8ミリフィルムが太陽光を捉える粒子の粗い質感が若さと創作の苦悩の強度を象徴している感じ。カンボジア旅行で撮影した映像を両親に見せて「ダメだし」を受けるシーンが笑える。よくある自意識過剰な自主制作映画に収まらずエンターテインメントとして成立している。

それにしても、こういった自身のアイデンティティーを問うような自主制作の作品において、作者が男の場合よく脱ぐ。一方、作者が女の場合はどうかといえば、精神的なトラウマ的なものを「晒す」方向にいくような気がする。

松江は塚本晋也監督の「TOKYO FIST」を例に出し、90年代には「都市と肉体」をテーマに東京を描いた作品がいくつかあったが今後はアジアの中の東京を描いた作品が増えるのではと述べていた。