tumblrについての一考察

2007年色々なことを始めた気がするけど、その中で一番重大なものごとの一つはtumblrだった。勝手に顔も知らない人のtumblrをフォローして気に入った画像や文章をリブログしていくあのゆるい行為を通して、大げさに言えば、わたしはインターネットという漠然とした概念みたなものを少し理解することができたような気がする。

少なくとも、タンブラーを通して今までなら見ることがなかったであろう膨大な画像や文章を目にすることができるようになったし、その中から自分の感覚のみでリブログし、できあがってきたページは何かしらのものにはなっているはずだ。

それは確かに、昔雑誌からお気に入りの写真を切り抜きスクラップしていくのと同じことだけれど、選べるリソースの量が圧倒的に異なる。タンブラーによって写真、画像に対する認識の仕方も変わった。私や他の人がリブログしたくなる画像はその瞬間のタイミングで恣意的に変わる部分もあるけれど、画像として完結していて、ある種の物語がただよっているようなものが好まれる気がするのはなぜか。

展覧会の絵の中から一つを選んで購入するつもりで絵を見ると、美術館が苦手な人でも退屈しないで絵を見られるみたいなことを以前にテレビでやっていて、それはものを見たり理解しようとする際にある指標を持つことで、その行為や体験の濃密さが増すということなのだと思う。例えば、本を読む際に必ず感想を書き留めるとか、旅行の際に写真を撮るとか。

それを、インターネット閲覧の際にコンテンツを選ばない広範囲かつ負担にならない気軽さで可能にしたのがtumblrなんだと思う。webを見る際にタンブログというささやかな目的を持つということが広大でとりとめのないネット閲覧の道しるべ的なものにはなっているような気はする。