2008って全部丸っぽい数字だから見た目かわいいけどクールじゃない

元旦の朝食兼昼食はおせちとお雑煮、夕食はご飯と魚と筑前煮と我が家では決まっている。おせち料理のきんとんは栗ではなくさつまいもで、お雑煮には凍み豆腐とかが入っていてそれは毎年毎年変わらない。

1月1日に毎年食べる変わらないものは毎年降る雪の匂いやある種の正しい空気(お正月ってどうしていつも正しい空気になるのだろう)とかその他もろもろ結びついてまとまった一つの記号になる。それがいわゆる「お正月」というやつで、考えてみると私たちは季節の折々に毎年毎年同じものを食べている。

何でそんなことをしているのかというと延々と続いている生活、日常、時間にある種のピリオドを打ち続けているのではないか。毎年食べている同じものを食べている時に私達はきっと以前それを食べた時のことを無意識に反芻し始めるだろうし、それはリニアに続いている時間をその瞬間圧倒的な強さで無化してみせたりしているのかな。食べるって極限的にシンプルだけど(だからこそ)すごく強い行為だし。

昔、好きな男の子の前でご飯を食べるのがすごく恥ずかしかったことを思い出した。まあ、少なくとも、来年の今日もきっと同じもの食べるだろうという安心感みたいなものは感じる。