風景と心理をスキャンする小説「シンセミア」

去年の読書納めは阿部和重の「シンセミア」だった。

山形県神町という田舎で起こる事件を俯瞰的に書いているのだけれど、とにかく後半のドライブ感がすごい。読んでいてアドレナリンが出るのを実感できる小説はひさびさだった。

物語の中核を担う人たちの一つが、町の青年達がつくったビデオサークルで、彼らは女の人や死亡事故現場の盗撮ばっかりしている奴らだが、小説の文体自体もカメラライクに客観的で、個々のシーンの断片的な集積によって全体が見えるという構造も盗撮っぽかった。叙述するというよりスキャンするという表現がぴったりな気がする。

主要登場人物のほとんどが死んでゆくのに、作者阿部和重に雰囲気が似ている登場人物が最後まで生き残ったのには少し笑ってしまった。

 

シンセミア〈1〉 (朝日文庫)

シンセミア〈1〉 (朝日文庫)

 

 

ガラスは味がしなかった

へんな夢を見た。

私は自分じゃない他の人間という設定で、ガラスをぽりぽりと食べていた。

ガラスはおはじきよりもやや薄くカップヌードルの容器の底くらいの大きさの円形でやや青みがかっていて、口に入れると冷たくて滑らかだった。

その滑らかなガラスをがりりとかじり咀嚼する。

味は全くしないのだが、細かく固いもので一杯の咥内は不快。

私じゃない誰か他の人は、決して飲み込むことはなくただただ延々とガラスを咀嚼していた。

雨の日のプールに「ガンモ」

久々に「ガンモ」を観たけれど、やっぱりすごくよくて、この良さは何なのだろうと考えてしまう。ラストがすごく泣ける。私が好きな人にはこの映画を好きであって欲しいと思う。

猫が目撃されてから殺されるまでの物語であるというのは今回気付いた。あの可愛らしいウサギは声を発しないから、やっぱり彼はフィクショナルな存在だ。他の人達はほとんどたえまなくしゃべっている。

あれが作られてからもう10年以上経つだなんて信じられない、結構恐ろしい事実だと思う。この10年で映画は何か変わったか。

ガンモ [DVD]

痕跡についての映画 『悪い女』

悪い女 [DVD]

 

海辺で二人の女がすれ違う。その瞬間に片方の女が持っていた何かが砂の上に落ちる。それが何なのかと目を凝らす私たちの前に提示されるのは濡れた砂の上で力なく跳ねる金魚のアップショット。その後、もう片方の女が落ちたビニール袋に鞄の中から出したミネラルウォーターを注ぎ、金魚を入れる。金魚は何事もなかったかのように泳ぎだす。この冒頭のシーケンスが、この映画の全てを物語っている。

これは痕跡についての映画だ。鯖の絵。雪の上の引き返す足跡。エゴン・シーレの絵。ぐちゃぐちゃに丸められそのあと丁寧にのばされた写真。そして娼婦の肉体の上に残った見えない痕跡。セックスとは自分と相手の肉体に見えない痕跡を残す行為なのだと気付く。愛があってもなくても彼の、彼女の肉体に痕跡は残り続け、その寂しさが売春宿近くの海と混じり合う。それは光に溢れた清々しい朝の歯磨きをもってしても消し去ることは出来ないのだ。

濡れた黒 『カビリアの夜』

カビリアの夜 [DVD]

ジュリエッタ・マシーナ!よく動く大きな目と全身から生きるエネルギーを発散させているような仕草の数々。子供のようにてらわず奔放で魅力的な女性である。彼女が主演し、彼女の夫でイタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニ(関係ないけど「フェデリコ・フェリーニ」という語感がすごく好きだ、おいしそう)が監督した『カビリアの夜』。先日、ジュリエッタ・マシーナが本作について語っているインタビューをたまたま読み、久々にすごく観たくなったのでDVDを借りた。

フェリーニの映画はいつも音楽が素敵で重厚で気が利いていて、見終わった後に人生ってそう悪くないなという気持ちにさせてくれる。この『カビリアの夜』も例に漏れずその通りで、ジュリエッタの魅力もすごく感じられて(マンボを踊るジュリエッタの生き生きとしたあの表情!)私の大好きな映画だ。

この映画では素敵な瞬間は必ず夜にある。仲間とのバカ騒ぎや俳優とのゴージャスなひと時やラストのあのシーン。この映画の夜は晴れているのにどこか湿り気を帯びていて、濡れたような黒が画面を覆う。

逆に昼は光線の具合とかの関係でどんよりしている。彼女の今までの人生を象徴するように。

今回、物語が私自身の私生活とも変にリンクしていて、無意識にカビリアに自分を投影して礼拝のシーンとラストで2回泣いてしまった。映画や本って見る度にその時の自分の状況とか感情によって異なる鑑賞体験になるんだなあ。誰かが言っていた「良い作品と良い鑑賞経験とは全く別物である」という言葉を思い出した。今日この映画を観たことが私にとってすごく意味のあることのような気がする。

ラストのショットは本当に素晴らしくて、黒い涙を一筋流すカビリアの笑顔が観客である私たちの方を向いた瞬間に、陳腐な表現だけれど、自分の存在の全てを肯定されたようで幸せな気持ちになる。「カビリアの夜」(このタイトルもまた秀逸)の「夜」とは人生においてごく稀にある、本当に幸せな一瞬一瞬のことなのではと今は思う。

反ハリウッド的ハリウッド映画 『ミスト』

ミスト コレクターズ・エディション [DVD]

私はいわゆる「衝撃のラスト」という言葉で分類されるような映画が好きでよく観る。『ユージュアル・サスペクツ』とか『ゲーム』とかそういう感じのもの。

ほんの数カット、時には1カットで始まりからそれまでの時間積み重ねてきた物語の意味ががらりと変わってしまうというこの「衝撃のラスト」という機能は、不可逆的でショットの積み重ねにより物語を語っていく時間芸術である映画の真骨頂だと思う。

この映画もTSUTAYAでそのキャッチコピー付きで紹介されていたので借りて観てみた。原作スティーブン・キング、監督フランク・ダラボンのコンビは名作『ショーシャンクの空に』を作ったコンビだから外れないと思ったし。

観た感想としてはなかなか良くできた映画だと思った。ただ、救いようのないラストで後味はとにかく悪い。この後味の悪さ故に正直言って、もう2度と見たいとは思わない。

舞台はアメリカの郊外のとある町のスーパーマーケット。ここで私はジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を連想してしまった。でもそれよりは渋いというか落ち着いたテイスト。

観ていてすぐに気付くのは、この映画の映像の被写界深度の異常なまでの浅さだ。被写界深度が浅い映画としては最近観た中ではガス・ヴァン・サントの『パラノイド・パーク』が印象的だったけれど、『パラノイド~』はいわゆるミニシアター系の映画で、ちょっととがった人達が見るから浅ーい被写界深度で実験的なことをしていても特に何も思わなかったけれど、この映画は一応ハリウッド映画で、ここまで浅い被写界深度にはちょっと驚いた。でもその浅い被写界深度が霧の中に包まれている閉塞感とか人々の不安とかを表していてすごくしっくりきていた。

それから演出が見事。特に物語の始めの方で、悪そうな男の人が腰にロープを巻いて不気味なクリーチャーがうじゃうじゃいるであろうスーパーマーケットの外へ果敢にも出て行くのだけれど(もちろんこの男の人はクリーチャーに殺される。)、その場面がロープ1本の動きのみで完璧に語られていたのはすごかった。それから、ラストのピストル発砲する前後。ハリウッド映画なのにカウリスマキみたいで渋い!異常な状況下での人々の残酷な群集心理みたいなもの(これも私の大好物)も描かれていて作品に奥深さを与えている。

この映画はことごとく「ハリウッド的」なお約束=フラグをへし折って物語が進んでいく、フラグクラッシャーな映画だ。真っ先にスーパーマーケットの外へ飛び出していった女は結局助かっているし、主人公と一悶着あってスーパーマーケットを出て行った黒人男性の結末は分からずじまいだし、悪い狂信者の女はあっけなく死んじゃうし、主人公の結末はあんなだし。

テーマはいわゆるキリスト教的な神の領域を侵す人間の傲慢さへの警鐘だと思う。時代的背景を考えると、ここでの人間はアメリカにも代替可能で、「アメリカよもうちょっと謙虚になりなさい」というメッセージも読み取れる、だったらあの最後に出てくる戦車やソルジャー達をあんなに荘厳に描いちゃっていいのかなとは少し思った。

惜しむらくはこの1点。事件発生の原因である霧は視界を制限し、その中に何があるのか分からない薄気味悪い恐怖を喚起させます。ただ、実際にクリーチャーが見えちゃうと、そのCGの不自然さとかデザインのイケてなさなどが露呈してしまい残念だった。見えそうで見えない位が一番怖いんだよね。